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7月, 2023の投稿を表示しています

わが師・わが友ー樋口州男先生ー

  樋口州男  樋口州男先生は、私が東京都立墨田川高等学校に在学していたころに、教わっていた日本史教師です。大学の授業のような形式で、三省堂の日本史の教科書を読みながら、補足説明をしながら、時々、日本史図録や日本史資料集をみていく授業でした。この大学の講義スタイルに慣れてきたら、日本史が楽しくなりました。ただし、この方法についていくためには、予習として『書き込み教科書』や『日本史用語集』で予習しておく必要がありました。今でも、日本史の骨格が形成されたように感じています。樋口州男先生は、その後、中世がご専門で早稲田大学大学院を修了なさった方で、定年退職後は、専修大学講師になり、 NHK の日本史講座にも出演されていました。高校生にはレベルの高い本質的なことを扱う日本史の授業でした。

わが師・わが友ー林田忠雄先生ー

  林田忠雄  林田忠雄先生は、私が東京都立墨田川高等学校に在学していたころに、教わっていた英語教師です。桐原書店の『標準英単語』『入門英単語』『上級英単語』をはじめ、三省堂の英語教科書の指導書の執筆、英和辞典の執筆などで活躍され、定年退職後は、攻玉社で教えておられました。工業高校出身で、祖父にあたる方が明治大学の創立者ということもあり、明治大学を首席で入学、卒業され、大学院ではシェークスピアを研究し、東京電力の翻訳の仕事でサラリーマンを 3 年経験したあと、都立高校の教員になった方です。  英語学が専攻ということで、英文法や英作文の授業は、楽しそうに講義されておられました。リーダーは、原則、直訳を軸に展開しておられました。留学経験がないにもかかわらず、外国人と話もしておられ、洋画で鍛えたといっておられました。英語教育では、主に仮定法のご論文を中心に執筆しておられました。  中国の満州で育っておられるため、気風が大陸的な感じで、どっしりとしておられました。個人的には、細江逸記の論文を書くときに、ご助言いただきました。世代的に、英語、ドイツ語、フランス語などを学んでおられるため、視野が広い印象を受けました。  私も、多少なりとも英語の論文が書けるのも、林田先生のおかげだと思います。

わが師・わが友ー石川忠久先生ー

  石川忠久 石川忠久先生の NHK ラジオ講座「漢詩をよむ」「漢詩への誘い」は、名講義で一首よむごとに、現代中国音で朗読しておられました。そのときに二松學舍という大学があることを知りました。 NHK ラジオ講座は、 10 年ほど石川先生が退任なさるまで、リスナーとして聴いていました。 石川先生のご講義は、二松學舍の特別講義や公開講座で 10 回ほど実際に拝聴しましたが、すばらしい講座で、古代中国の雰囲気が伝わってくる内容でした。実際のご講義は、面白い内容で、ラジオよりも雑談が多く、一首ごとに味わい深い内容で、私もすっかり漢詩が得意になりました。 二松學舍の学長を退任後は、湯島聖堂で講座を担当されていたようですが、 2022 年にご逝去されました。

わが師・わが友-松井孝夫先生ー

  松井孝夫 松井孝夫先生は、現在では聖徳大学で教鞭をとり、音楽の指導にあたっておられますが、かつては東京都葛飾区立の大道中学校の音楽の教諭でした。私が中学 1 年のころに当時 24 歳の若い先生で、担任になりました。マメな先生で、文化祭などでは合唱部がなかったので、臨時の合唱部を結成したときに私も声をかけていただきました。私が中学 2 年のころに、松井孝夫先生は、「マイバラード」という代表作を夏休みに作詞作曲して、生徒に披露し、のちに音楽の教科書に掲載され、合唱曲の作詞作曲家として有名になっていきました。東京学芸大学の作曲科の出身なので、そのよさが生かされた感じです。 校内暴力のあった地域の中学校の教諭だったので、ご苦労も多かったと思いますが、ひたむきに努力なさる姿は、よく覚えています。 YouTube で聖徳大学での指導風景を見ることができますから、興味のある方は御覧ください。人柄がよく伝わってきます。

わが師・わが友ー加藤道理先生ー

  加藤道理  加藤道理先生は、私が二松學舍に入学して、学部の一年生で初めて受けた専門科目の先生でした。当時、私は東京大学を落ちてしまい、他を受験していないこともあり、行き場のないまま、誘われるように二松學舍を受験しました。本来は、リベラルアーツ、哲学、言語学、歴史学が希望で、どれを選んでよいかわからないのもあり、東京大学の駒場の教養学部で、最初の二年間でゆっくり決めたかったのです。それが落ちてしまい、どういうわけが二松學舍の国文学科に入ってしましました。そのため、失意のどん底にありました。毎日、後悔と情けなさで、胃腸もおかしくなっていました。リベアルアーツをやりたいのに、意に反して、二松學舍という大学は一年生から専門科目が必修で、国文科であっても、中国文学科の必修科目が多いことでも知られており、講義科目で「東洋哲学史」「中国文学史」「漢詩」「日本漢詩文」、演習で『論語』『孟子』が必修科目でした。  加藤道理先生は、最初に「私は君たちの先輩です」という言葉から始まりました。加藤道理先生は、二松學舍専門学校を卒業されたあと、東京大学に進学され、高校教員として現場で国語を担当し、いくつかの高校の校長を歴任されたあと、定年後は、桜美林大学を本務とされ、非常勤で、当時柏キャンパスのあった二松學舍においでになって、『論語』と「東洋哲学史」を担当されていました。非常にわかりやすいご講義でした。師匠が加藤常賢であったため、漢字の字源の話しをよくしておられました。その内容は『字源物語』にまとめられています。 私の受けた『論語』の演習では、簡野道明の編による、朱熹の註で読んでいました。白文訓読を指名で当てられるもので、朱子学を学び、次に陽明学を学ぶという、昔ながらの二松學舍の漢文が勉強できました。どういうわけか、その後、加地伸行先生の知遇を得て、論語指導士の資格をいただき、漢文とのご縁が続くとは、不思議なものです。

わが師・わが友ー杉谷寿郎先生ー

  杉谷寿郎  杉谷寿郎先生は、私が拝聴した当時は、本務校が日本大学の教授で、二松學舍大學には非常勤でお越しでした。当時、私の拝聴した杉谷寿郎先生のご講義は、プリントで抜粋版の『後撰和歌集』でした。毎回、ご講義に入る前に、雑談から入るのが通例でした。そして、 5 分ほどの雑談のあと、朗らかな雰囲気のまま、プリントのテキストを読んでいきました。ゆったりと、噛みしめるような和歌の味わいを教わることができました。  片桐洋一さんのお書きになった『歌枕・歌ことば辞典』(角川書店)を必ず読んでレポートを書くようにと、いうご指示がありました。当時、この本は絶版でしたが、名著の誉が高く、後に笠間書院から再版されたときには、すぐに購入しました。すばらしい本でした。この本がきっかけで、後に法政大学では、間宮厚司先生のもとで、卒論を和歌で書くことになりました。